昭和40年6月14日 夜の御理解


 今日、善導寺の婦人の次長さんが集金に来て下さったんです。ほんで、お茶でも差し上げたんですけれども、その、額室で衝立を見てから「素晴らしい衝立ですなあ」というて、裏に虎の絵が書いてある。「この虎の絵は素晴らしいと」いうてその、褒められてですね、おりましたけれども、私はがね、虎年ですから、「信者さんこれをお供えして下さったのですよ」というてから、話していたんですよ。
 「はあ、先生も虎年ですか」という。あの次長さんも虎年だそうですね。私はだから、んー、私よりか一回りぐらい上の虎年だろうと思うて居ったところが、やっぱ大正3年生まれ。「先生何月生まれですか?」「私4月1日」と、あちらが3月の何日かというなら、なんちかあちらがお兄さんというわけなんですけれどもね。「はあーそうですか、私はまた、先生は随分私よりも年が多いと思いよった」げなと言う訳なんです。
 はあー、私はがっかりしたのですけれども、私もその人よりもですね、私はまだ、その若いと、私より一回り向こうの虎年だと思うたんですけれどもね、はあー私もあんなに年をとっただろうかと思うて、それを、見てから聞いて、それを感じた事ですけれどもね。

 自分ではいつまでも青年のような気持ちでおるけれども、もうあんなにおじいさんになっておる。しかも、そのおじいさんがです、私よりも多かったやろと(笑)もう話しにならんですもんね。信心とはね、いよいよ自分を本当の姿本当の自分というものを知る事だと言われておる。
 自分というものをぎりぎり見極めるという事だとも言われておる。そこから、生まれてくる処の信心、そこから、頂ける処の信心が、本当の信心だと。まず、自らを知る事だと、自分を知る事だと、それはもう、教えの鏡をね、前に立ててとこう言われます。
 だから、教えの鏡をたてるから自分の姿というもの分かるようなものだけれども、さあ鏡をみとってから自分のまだ若い若いと思うておうとるんです。ね。分からんのですよ鏡ぐらいでは。ね。
 または、自分の周辺、自分の周囲を見てみよと。子供が言う事を聞かんとか、家内がどうもおかしいとか、ね、その、言うことを聞かんものが自分自身にあるのだ、おかしいものが自分にあるのだとこう、もう自分の周囲の一切が自分の鏡だと。言われております。
 成程そういわれておりますけれどもです、分かっておるんです、教えを鏡にとか、自分の周囲を自分の鏡、自分の姿と思うて。
 なら、自分が分かって行くかというたら分からないんです。実際は。自分というものをいよいよぎりぎり見極めさせてもらう。自分というものを掘り下げに掘り下げた上に自分の正体を見極めるという事。そこで私は思うのですけれどもね、自分が見極めてるようであって見極めていないという事。ね、自分はまだ若いと思うておとるけれども人から見たら、まあ、その、次長さんが52といたしますならです、ね、私はやっぱり55、6でみちゃったかもしれません。ね。私も、あちらが55ぐらいいわば山をみとるわけです。
 けれども、虎年じゃしけん、まあ、若いという人もあれば、私より上だと思うておったところがそうじゃない、やっぱり同じ大正3年生まれだったという事。
 本当の事がいよいよ分かったわけ。ね。ですから、私共自分というものを本当に、見極める、その手立てとして、それは教えを鏡として、自分の周辺を自分のそのままの姿であるとして、例えば難儀なら難儀といったようなものがです、ね、その難儀につりおうた自分だという事を分からせて頂くという事も有り難いのだけれども、それでは、まだいくらか漠然としておる。
 分かっておってもなかなか改めが出来ない。そこで、人がいうてみえればいいけれども中々本当の事は人言うてくれんという事。
 私はいつもその事を皆にざっくばらんの時にどうかな、「私はこの頃、あんただん、見てからどう思う、先生あああって頂くと良いけれども、先生があそこをいっちょ改めなさるといいけれども」といったようなところはないだろうかと、なかなか本当の事は言うてくれません。
 ね、そこで私は思うんですけれどもね、自分の心の中にね、どの位自分が謙虚であるかという事だと思うのです。ね。自分というものが分かっておるという事は、自分が分かれば分かるほど、いうならば、先輩面とか、ね、あー、自分がよかごつ風にはしておられんということ。自分が分かれば分かるほど謙虚にならなきゃあおられないのだという事。

 先ほど、私ちょっと表に出らせて頂きましたら、その、定男さんが何か、母親の遣いでしょう、今休んでおりますから、どっか常持のほうに御遣いにいきよりました。それから、もうこちらのほうから、あーこれもやっぱりある方がですね、その、ここの横を通っておれらるんです。もうあの人は子供の時は馬鹿ん事いいよったっち。あの、子供が言い寄りますもん。それが、その、定男さんを見てからその人をみてから、妹が言うとですもんね。
 ばってん本当に私は定男さん以下という事を言うんですね。
 もう本当に一生懸命働いて帰って来てから、ね、そしてまた、母親がちょとおつかいに言ってくれちいや、素直にして行くというところを見たり様々なところを見たり聞いたりしてからですたい、私どんは本当いつも思う、定男さん以下といったようなことをいうておりおますが、です、本当に定男さん以下の私という事。
 定男さんに対して失礼な事ですけれどもですよ、ね、本当に定男さん以下の事の自分という事を見極めているならです、とても大きな顔どん出来ないですね。自分の心の中にです本当に謙虚な、自分というものがあるかどうかというものをいつも確かめさせてもろうて、もし、謙虚なものが薄かったり、無かったりするならばです、ね、いよいよ自分を見失っておる時と、悟らせてもろうて本気で自分を見極めなければならない時ではないでしょうかね。
                           おかげを頂かなければなりません。